甲斐犬は、山梨県南アルプス山麓の険しい山岳地帯で生まれ、1934年1月22日に日本犬として2番目に天然記念物に指定された、日本が誇る希少な純血犬種です。[1]
この記事では甲斐犬の歴史と起源について、山梨県での誕生から天然記念物指定、現代に至るまでの歩みを詳しく解説します。甲斐犬の特徴や現代の飼い方については、別記事「甲斐犬の特徴まとめ|性格・見た目・飼い方を飼い主目線で解説」にまとめていますので、そちらもぜひご覧ください。
甲斐犬の歴史が面白い|1934年まで「純血種」として知られていなかった
実は、甲斐犬が「純血種」として正式に世に知られるようになったのは1934年(昭和9年)のこと。それまでは山梨県の山奥で「虎犬」と呼ばれ、地元の猟師たちの間でだけ知られる存在でした[4]。
実際に甲斐犬を飼っている私からすると、「こんなに魅力的な犬がそんなに最近まで無名だったの?」とちょっと驚きです。でも逆に言えば、山奥で隔離されていたからこそ純血が保たれたわけで、それが甲斐犬の大きな魅力につながっているんですよね。
甲斐犬のルーツ|山梨県南アルプス山麓で生まれた犬種
原産地は「芦安村」周辺の山岳地帯
甲斐犬の故郷は、山梨県南アルプス市(旧・芦安村)を中心とした山岳地帯です[2]。この地域には以下のような特徴がありました。
- 森林率96%という深い山間地
- 標高718〜1,382mの段丘に8つの集落が点在
- 周辺地域との交流が少なく、地理的に隔離された環境
- 昭和初期まで狩猟が主要な生活手段
この厳しい自然環境の中で、甲斐犬は自然淘汰と猟犬としての選択繁殖を繰り返しながら、長い時間をかけて独自の犬種として確立されていきました[2]。
なぜ「甲斐犬」と呼ばれるのか

名前の由来はシンプルで、山梨県の古い呼び名である「甲斐の国」から来ています[2]。ただし、正式に「甲斐犬」と命名されたのは天然記念物指定のタイミングで、動物学者の鏑木外岐雄(かぶらき ときお)博士が名付け親とされています[2]。それ以前は地元で「虎犬」と呼ばれていたんです。
狩猟犬としての甲斐犬|鹿・猪を追った山岳のハンター
過酷な山岳地帯で鍛えられた身体能力
甲斐犬はイノシシやシカ、カモシカなどの獣猟に使われていた狩猟犬です[3]。南アルプスの急峻な山岳地帯を駆け回るため、以下のような身体的特徴を持っています。
- 飛節(後ろ足の関節)が長く、駿足で跳躍力が大きい
- 中型犬ながら筋肉質で引き締まった体型
- 全身を覆う虎毛が山中でのカモフラージュ(迷彩効果)に役立つ。虎毛の3種類(黒虎・赤虎・虎)の詳細については「甲斐犬の虎毛とは?黒虎・赤虎・虎の3種類の毛色と特徴を解説」で詳しく解説しています
- 体高は雄約52cm、雌約49cm[3]
「一代一主」の性格はどこから来たのか
甲斐犬といえば「一代一主(いちだいいっしゅ)」という言葉がよく使われます。これは一生涯で一人の主人にだけ忠誠を尽くすという意味です。
この性格が生まれた背景には、狩猟犬としての歴史があります。
- 山岳地帯での猟は猟師と犬の1対1の信頼関係が命綱
- 群れで行動するより単独または少数で猟師と連携するスタイル
- 主人以外の指示に従わないことが、かえって猟の安全性を高めた
実際に甲斐犬を飼ってみると、この「一代一主」の気質は本当に実感します。家族全員にフレンドリーというよりは、特定の一人に対する信頼が圧倒的に深いんですよね(もちろん他の家族のことも好きですけど、レベルが違います)。甲斐犬の性格や飼い方についてもっと知りたい方は「甲斐犬の特徴まとめ|性格・見た目・飼い方を飼い主目線で解説」をご覧ください。
天然記念物への指定|日本犬で2番目の栄誉
発見者・小林承吉の功績
甲斐犬を「発見」したのは、獣医師であり甲府市遊亀公園附属動物園の元園長でもあった小林承吉(こばやし しょうきち)氏です[4]。
1924年(大正13年)、小林氏は中巨摩郡宮本村上黒平(現在の甲府市黒平町)で負傷した犬を診察した際、独特の虎毛模様を持つ未知の犬種に出会いました。これが甲斐犬の「発見」の瞬間です[4]。
その後、小林氏は詳細な調査を進め、1930年(昭和5年)に新種犬として発表したとされています[4]。
天然記念物指定までの流れ
- 1924年(大正13年) — 小林承吉が宮本村上黒平で甲斐犬を発見[4]
- 1930年(昭和5年) — 新種犬として発表[4]
- 1931年(昭和6年)11月3日 — 甲斐日本犬愛護会が設立[5]
- 1933年(昭和8年) — 天然記念物として文部省に申請、「甲斐犬」に改称[2]
- 1934年(昭和9年)1月22日 — 天然記念物に正式指定[1]
秋田犬に次いで日本犬としては2番目の天然記念物指定でした[4]。これは小林氏が県を通じて国に粘り強く働きかけた結果です。天然記念物の日本犬6犬種の全体像については「天然記念物の日本犬6犬種一覧|歴史と特徴をわかりやすく解説」で詳しく紹介していますので、あわせてご覧ください。
甲斐犬愛護会の設立と保存活動
設立の経緯
甲斐犬の県外への流出と絶滅を懸念した小林承吉は、山梨県内の有力者に協力を求めました。その呼びかけに応じたのが、甲府地方検察庁に赴任していた検察官の安達太助(あだち たすけ)氏です[5]。
1931年(昭和6年)11月3日、安達太助を初代会長、小林承吉を専務理事として「甲斐日本犬愛護会」が設立されました。設立時の会員はわずか16名でした[5]。
愛護会の活動と理念
甲斐犬愛護会は、国の天然記念物「甲斐犬」の単犬種保存団体として、以下の活動を続けています[6]。
- 犬籍登録の管理(1934年4月より開始)
- 展覧会の開催(単独犬種としては日本最多の開催数)[6]
- 保存繁殖の指導と普及活動
愛護会の基本理念は「派手な宣伝もなく、営利団体でもなく、古来より伝わる原種をよりよく愛護するのが第一目的」というもの。商業的な繁殖ではなく、甲斐犬本来の姿を守り続けることを最優先にしています[5]。
歴代会長と主な功績
| 代 | 会長名 | 主な功績 |
| 初代 | 安達太助 | 愛護会設立、保存活動の基盤づくり |
| 2代目 | 今井新造 | 鹿犬型甲斐犬の発見(1932年) |
| 3代目 | 寺田七男 | 戦後の保存活動の再建 |
甲斐犬の系統|鹿型と猪型の違い
甲斐犬には、かつて2つの系統が存在していました[4]。
鹿型(しかがた)と猪型(いのししがた)の比較
| 特徴 | 鹿型(鹿犬型) | 猪型(猪犬型) |
| 体型 | 四肢がすっきりとして細身 | ずんぐりとした筋肉質 |
| 尾 | 巻き尾または差し尾 | 「拝み尾」と呼ばれる大きな尾 |
| 得意な猟 | シカ猟(駿足を活かす) | イノシシ猟(力強さを活かす) |
| 主な産地 | 芦安村、平林、早川町 | 黒平、上九一色村 |
| 現在の状況 | 現存する(主流) | 第二次大戦中に絶滅 |
猪型が絶滅した理由
第二次世界大戦中の食糧難が大きな原因です[4]。戦時中は犬の飼育が困難になり、特に山間部では食糧確保が最優先されたため、多くの犬が失われました。猪型は元々数が少なかったこともあり、残念ながら系統として途絶えてしまいました。
現在の甲斐犬はすべて鹿犬型です[4]。ただし、個体によって体格差はありますので、「太めの甲斐犬=猪型」というわけではありません。

年表で見る甲斐犬の歴史
| 年 | 出来事 |
| 古代〜江戸 | 山梨県南アルプス周辺で猟犬として飼育される。地元では「虎犬」と呼ばれる |
| 1924年(大正13年) | 獣医師・小林承吉が宮本村上黒平で甲斐犬を発見[4] |
| 1930年(昭和5年) | 新種犬として発表[4] |
| 1931年(昭和6年)11月3日 | 安達太助を会長に「甲斐日本犬愛護会」が設立(会員16名)[5] |
| 1932年(昭和7年) | 2代目会長・今井新造が鹿犬型甲斐犬を発見 |
| 1933年(昭和8年) | 天然記念物に申請。鏑木外岐雄博士が「甲斐犬」と命名[2] |
| 1934年(昭和9年)1月22日 | 天然記念物に正式指定(日本犬で2番目)[1]。犬籍登録を開始 |
| 1940年代 | 第二次大戦の影響で飼育頭数が激減。猪犬型が絶滅[4] |
| 1950年(昭和25年) | 甲斐犬10頭がアメリカの動物園へ親善交換として渡米 |
| 戦後〜昭和後期 | 狩猟犬から家庭犬への移行が進む |
| 現在 | 甲斐犬愛護会・日本犬保存会を中心に保存活動が継続[5][3] |
昭和から現代への変遷|狩猟犬から家庭犬へ
狩猟文化の衰退と甲斐犬の立ち位置の変化
昭和後期以降、日本の山間部でも生活様式が大きく変化しました。
- 狩猟人口の減少により、猟犬としての需要が激減
- 都市化の進展で、家庭犬としての飼育が主流に
- 洋犬人気の高まりで、日本犬全体の飼育頭数が減少傾向
しかし、日本犬保存会は「よき狩猟犬はよき家庭犬になりうる素質を備えている」と述べており[3]、甲斐犬の本質は狩猟犬であっても家庭犬として十分な資質があると位置づけています。
保存団体による方針の違い
現在、甲斐犬の保存には主に2つの団体が関わっています。
それぞれの団体で好まれる犬の大きさや構成が異なることがあり、これは甲斐犬の多様性を守るうえで重要な役割を果たしています。
現在の甲斐犬の状況|登録数と保存の課題
JKC登録数の推移
甲斐犬のJKC(ジャパンケネルクラブ)への年間登録数は、残念ながら非常に少ないのが現状です。2024年のJKC犬種別犬籍登録頭数によると、甲斐犬は第79位・年間わずか43頭にとどまっています[7]。
年間登録数が50頭を下回るレベルというのは、犬種の存続という意味ではかなり厳しい数字です。ただし、JKC登録は犬種全体の実態を完全に表すものではなく、甲斐犬愛護会や日本犬保存会の犬籍に登録されている個体を含めると、実際の飼育頭数はもう少し多いと考えられます[7]。
保存における3つの課題
- 繁殖母数の少なさ — 個体数が少ないため、遺伝的多様性の維持が難しい
- 認知度の低さ — 柴犬や秋田犬に比べて一般的な知名度が低い
- 飼育のハードル — 一代一主の気質があるため、初心者には向きにくいという印象がある
ただ、近年はSNSなどで甲斐犬の魅力が発信されるようになり、少しずつ認知度は上がってきています。実際に飼ってみると、その忠誠心の深さや野性的な美しさに惹かれる人は多いと思います。
FAQ|甲斐犬の歴史に関するよくある質問
Q. 甲斐犬は何年前からいる犬種ですか?
正確な起源は不明ですが、数百年以上前から山梨県の山岳地帯に存在していたと考えられています。純血種として公式に認知されたのは1930年代ですが、犬種自体の歴史はそれよりはるかに古いです。
Q. 甲斐犬はなぜ天然記念物に指定されたのですか?
甲斐犬が日本固有の純血犬種として学術的に価値があると認められたためです。山間部の隔離された環境で純血が保たれていたことや、虎毛という独特の毛色、狩猟犬としての優れた能力が評価されました[1]。
Q. 甲斐犬を「発見」したのは誰ですか?
獣医師で甲府市遊亀公園附属動物園の元園長だった小林承吉(こばやし しょうきち)氏です。1924年(大正13年)に、負傷した犬の診察がきっかけで、特徴的な虎毛を持つ未知の犬種として認識しました[4]。
Q. 甲斐犬の「鹿型」と「猪型」は今もいますか?
猪型は第二次大戦中に絶滅しており、現在の甲斐犬は全て鹿型です[4]。ただし個体差はあるため、見た目の違いが全くないわけではありません。
Q. 「一代一主」は本当ですか?他の人には懐かないのでしょうか?
完全に他の人に懐かないわけではありませんが、特定の一人への信頼が特に深い傾向は確かにあります。家族全員と良好な関係を築きますが、「この人が一番」という序列がはっきりしていることが多いです。
まとめ
甲斐犬の歴史を振り返ると、以下のポイントが見えてきます。
- 原産地:山梨県南アルプス市(旧・芦安村)周辺の山岳地帯[2]
- 発見:1924年に小林承吉が発見、1930年に新種犬として発表[4]
- 天然記念物:1934年1月22日に日本犬で2番目に指定[1]
- 保存団体:1931年11月3日設立の甲斐犬愛護会が中心的役割を果たす[5]
- 系統:鹿型と猪型が存在したが、猪型は第二次大戦中に絶滅[4]
- 現在:JKC年間登録数は43頭(2024年・79位)の希少犬種[7]
山梨の険しい山々で猟師と共に生きてきた甲斐犬。その歴史を知ると、虎毛の美しさや一代一主の忠誠心にも、より深い意味が感じられるのではないでしょうか。
天然記念物の日本犬6犬種については、「天然記念物の日本犬6犬種一覧|歴史と特徴をわかりやすく解説」で詳しく紹介していますので、あわせてチェックしてみてください。
少しでも甲斐犬の歴史について興味を持っていただけたなら幸いです。
